福岡市西区の塾より「破壊的な天才児」
2020/07/23
私は脳科学者である中野信子氏のファンであり、
「人はなぜ 他人を許せないのか?」を読んでいます。
しかし、この本の中で、
学校では「破壊的な天才児」より
「従順な優等生」が優遇される
という項目を見つけた時、
とても違和感を感じました。
「集団の維持、社会を破壊しないことの大切さを教えることは、
日本では学校教育でも極めて重要な原則として行われている。
学校のクラスに、おとなしくて従順でそこそこ優秀な優等生と、
天才的な頭脳や、ある分野に突出した才能を持っているけれど、
学級崩壊のトリガーになってしまうような子どもがいたとすれば、
ほぼ100%前者が好感をもって受け入れられる。
集団を破壊する存在として天才的な子どもが排除されるようなことがあれば、
結果的に損失が大きい」
とも書かれていました。
印象としては、集団を破壊したとしても、
天才児を大切にしようと主張しているように感じます。
これは小中高の学校では受け入れられない主張です。
なぜならば、破壊者である一人の才能を守るために、
他の子どもたちの可能性は犠牲にしろと言っているのと等しいからです。
おとなしくて従順な子も
夢や希望、可能性を秘めているはずです。
目立つ天才児をなぜ優遇する必要があるのでしょうか?
「天才ならば何をしても許される」
私はそのような世の中を形成するために
子どもたちと接するなど出来ません。
「自他共栄」
自分も他者も繁栄する社会づくり、
その貢献者を待ち望んでいます。
破壊者ではなく建設者を待望しています。
そもそも天才児が社会集団を破壊するという前提が
おかしいのではないでしょうか?
18歳の天才棋士藤井相聡太棋聖や
8歳の天才ゴルファー弥勒ちゃんが
学級崩壊など引き起こすでしょうか?
ちょっと想像できません。
たとえ天才であっても、
社会性を育むことは可能だと思いたいです。
世の中には様々な人が生活しています。
五木寛之氏が言われる「大河の一滴」なのです。
一人一人の力を伸ばすことこそ教育であり、
特定の才能保有者を優遇することではないと思います。
まったくの凡人である私はそう思いたいです。