福岡市西区の塾より「教育と父性」
2020/06/01
以前「教育と母性」について述べましたが、
今回は「教育と父性」についてです。
教育の「教」という文字は、
子どもと父が交わっている姿を表しているそうです。
ということは、子どもに何かを教えるためには、
父親的な役割、つまり「父性」が必要であることを、
古の人々が感じ取っていた証拠ではないでしょうか。
例えば、子どもに狩りの仕方など「生き抜く術」を教える時、
子どもが望むように、ただ優しく安易なことだけ教えていたのでは、
子どもの生命に危険が及ぶことは、
誰でも予測できることです。
狩りはまさしく命がけの仕事なのですから。
ならば、子どもがたとえ嫌がろうとも、
あえて父親は心を鬼として、
子どもの命を守るために、
厳しく接する必要もあるのです。
すなわち厳しさとは「愛情の裏返し」なのです。
しかし、残念ながら最近の風潮では
様々な「〇〇ハラ」を過剰に恐れるあまり、
「子どもの自主性を重んじることが大切だ」
という美辞麗句を掲げ、
子どもの言いなりになっていることが
多いように感じられます。
人生経験の少ない子どもの自主性は
そもそも道理にかなっていないことが多いのに。
子どもはいくら身体が大きくなっても、
所詮「我が子」です。
親が我が子に遠慮する必要などありません。
本当に目の中に入れても痛くないほど可愛い我が子ならば、
その子が厳しい社会を力強く生き抜くための技を
しっかりと習得することができるように、
親が子どもの将来を見据えた鋭い視線を持ち、
我が子に接していかなければならないのです。
子どものためならば、
物わかりの良い親になどなってはいけません。
「ダメなものはダメ」
と眼前に大きく立ちはだかってください。
小・中・高の子をお持ちのお父さん、
「子どもに嫌がられたくない」
「どうせ言っても聞きはしない」
「所詮この子の人生だから」
「仕事で疲れているから」
など、気持ちは本当によく分かりますが、
ここは可愛い我が子のために頑張っていきましょう。