福岡市西区の塾より「不思議に思うこと」
2020/06/29
プレジデントという雑誌の中に、
「教育費 お金をかけずに最難関校に受かる方法」
という記事が掲載されていました。
読んでみると、
「成績優秀であれば、塾やテキストなどの費用が免除される」
ということが紹介されていました。
この制度を活用すれば、無料で塾に通え、
受験に挑戦する道が開けるというものです。
確かに福岡市にも
授業料やテキスト代を無料にするという内容で、
成績優秀な生徒を入塾させる仕組みを持つところは少なくありませんし、
中には高校や中学の受験料やその交通費まで負担する塾もあります。
そしてこのような塾が多くの生徒を抱えているのです。
社会で働く大人たちは
労働力を商品として企業に売り、
その対価として賃金を受け取っています。
そのことを踏まえると、
子どもたちの学力を商品として売り、
その対価として授業料・テキスト代という報酬を受け取っているとも考えられますが、
その報酬を得ているのは、
子どもたちではなく、親です。
なぜならば、そもそも子どもたちは初めから授業料を直接負担することはないからです。
親からすれば、ありがたい話です。
私は
「我が子の学力を商品化する親」
「学力を商品化される子どもたち」
どこか寂しい気持ちになってしまいます。
しかし、
利益を得ることは悪い事ではない」
と考えれば、このような仕組みが存在するのも
致し方ない事かもしれません。
私が不思議に思うのは、
「なぜ、授業料やテキスト代を免除されない子どもたち、成績優秀な子どもたちと区別されている子どもたちが、このような塾に集まるのか?」
「なぜ、授業料を免除されないのに、このような塾に親は我が子を通わせるのか?」
ということです。
「チラシなどを見ると、合格実績がすごいから」
と言われるかもしれませんが…
塾側から見ると、
「合格実績で保護者にアピールをして生徒を増やしたい」
という思惑があります。
普通、それ以下の学力の生徒を伸ばすのは大変だから、
元々成績優秀な生徒を
「授業料免除」で釣り、
「その子たちに合格実績を稼がせる方が簡単だ」
と考えます。
しかし、授業料免除の優秀な生徒ばかりが塾に在籍すると、
当然のことながら収益が見込めません。
そのためその他大勢の平凡な学力の生徒に、
優秀な生徒の授業料を肩代わりさせるのです。
「合格実績は授業料免除者で、塾の利潤はその他の生徒で稼ぐ」
これが実態ではないでしょうか。
保護者の皆さん、
「なぜ、このような塾に我が子を預けるのですか?」
私が長年勤めた森田修学館にはこのような仕組みはありませんでした。
亡き森田譲康前館長は、
「親が金持ちか、そうでないかは子どもたちには関係などない」
「子どもはすべて貧乏で丁度よい」
と何度も聞かされました。
さらに言えば、第1志望校に合格して喜ぶのは、
授業料免除の成績優秀な生徒たちで、
成績下位の生徒は第1志望校に行けず、
成績優秀者の授業料まで負担するのです。
「おかしくないですか?」
どんなに努力した生徒であっても不運によって、
不合格になることはあるかもしれませんが、、
他の生徒の授業料まで薄く負担する必要などあるのでしょうか?
また、このような塾では、
成績上位者のクラスほど、
優秀な教員を配置し、
厳しく生徒に接しながら、
成績の向上をさらに図っています。
この子たちに合格実績を稼いでもらわないといけないからです。
一方、成績下位者のクラスほど、
アルバイトの学生教師を配置し、
学力を伸ばすことは二の次で、
とにかく退塾しないように、
優しく楽しく生徒に接していきます。
大切な大切な収益の源ですから。
私は以前より、
子どもたちを学力で差別・区別することが大嫌いでした。
学力で子どもたちに差をつけると、
子どもたちが「商品」に見えてくるからです。
純粋な企業であれば、
「利潤の追求」は当たり前のことですし、
無くてはならないものです。
しかし、まだまだ未熟な子どもたちと接する機会を与えられた者が、
「利潤の追求」だけを追い求めるのは間違っています。
学習支援塾はやはり「教育場」でありたいと思います。
きれいごとばかり言えないことも、
塾を経営すれば重々承知しています。
でも、子どもたちを「商品」として見るのではなく、
将来、自らを幸福に導くのはもちろんのこと、
周りの人にも恩恵を与えることができる原石として、
しっかりと磨いていくことが、
微力ながらも教育に携わる者の責務であると考えます。
保護者の皆様、
目先の利益より、遠くの大望を子どもたちに見せてあげてください。
激動する時代だからこそ、
一本の太い芯を子どもたちに持たせていきましょう。